【すぐそばにある、わたしの幸せの見つけ方】Vol.22 仕事の法則2

〜「どう働くか」は、「どう生きるか」〜

職場って、不思議な場所ですね。

出社前、なんとなく
「きちんとしなきゃ」
「迷惑をかけないように」
「真面目に、間違いなく、言われた通りにやらなきゃ」

そんなふうに思っていた時期が、ありました。

“雇われているんだから”と、
自分らしさよりも「正しさ」を優先していた日々。

けれど、心のどこかでは、
うまく息ができないような“居心地の悪さ”を感じていたんです。

職場は、生活費を稼ぐために行くところ?
誰かに求められた役割を演じる場所?
それとも──
「わたしとして働ける」場所?

実はわたし、昔から「決められたことを繰り返す」のがちょっと苦手でした。
そんな自分に「お給料をもらってるんだから」と言い聞かせていたけれど、
心は、ざわついていました。

そしてもう一つ、思い出すエピソードがあります。

かつてある会社に勤めていたとき、
その「看板」がもたらしてくれる“ステイタス”や“優越感”が、
わたしを頑張らせていた時期がありました。

「○○会社?すごいね」
そんなふうに言われるたび、誇らしさを感じていたんです。

ある日ふと気づいたんです。

「それは、“わたし自身の価値”じゃなかった」って。

その会社の肩書きが外れたら、わたしは空っぽになってしまうような感覚。
後になって、気づけたことだけど

本当の意味で「わたしとして働く」とは
外側の評価ではなく、
内側から「納得できること
」状態だと。

以前ハワイに行ったとき、たくさんの高齢の方々が、
空港ターミナル内やスーパーでいきいきと働いているのを見ました。

しかも、みんな本当に楽しそう!

軽いカルチャーショックでした。
「どうして働いているんですか?」と尋ねると、
返ってきたのは、たった一言。

「だって、楽しいから。」

その言葉が、印象的で、その方の日焼けした笑顔がずっと心に残っています。

もちろん、生活のために働くこともある。
責任や期待に応えることも大切。

でも、「何のためにやっているのか?」という問いを持てたとき、
同じ仕事でも、感じ方は変わってくるんですよね。

イソップ物語に出てくる、あのレンガ職人の話を思い出します。

旅人が、三人のレンガ職人に「何をしているのですか?」と尋ねたとき。

ひとりは「生活のためにイヤイヤ働いている」と答え、
もうひとりは「お給料も良くて、レンガを積んでいるだけ」と答え、
三人目はこう言いました。

「私は、後世に残る聖堂の壁を建てているんです。」

同じ仕事でも、“どんな意味づけをしているか”で、
自分の中に湧きあがるエネルギーも気持ちも、大きく変わります。

わたしは何を積んでいるんだろう?
どんな未来をつくっているんだろう?

そう問い直したとき、
「仕事」というが、キラキラと、誇らしく感じられるのかもしれません。


今日の小さな問いかけ

Q:仕事の中にある、キラキラと輝くものは何ですか?

よかったら、あなたの声も教えてくださいね。
大切に読ませていただきます。

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