親子関係で悩まれているお二人のお話から
親の面倒をみることについて考えたいと思います。
父が亡くなって、しばらく経った頃だった。
母がよく言うようになった。
「一人っ子なんだから、あんたしかいないのよ」
「親の面倒を見るのは、子どもとして当たり前でしょ?」
言葉は正論だ。
耳にした瞬間、反論の余地なんてない気がする。
だけど……心の奥では、何かがモヤモヤしていた。
「正しいことを言われているはずなのに、どうしてこんなに、苦しいんだろう」
(Aさん)
本当は・・・逃げ出したくなる自分がいる
着信が鳴るたびに、少し身構える。
何を言われるんだろう。
今度は何を責められるんだろう。
「親不孝だ」と思われるのが怖いのに、関わるのも、正直しんどい。
「自分って、冷たい人間なんだろうか……」
自分を責める声が、だんだんと大きくなる。
(Sさん)
このように親子の関係で、悩みを持つ方は、少なくありません。
だけど、その気持ちは冷たさなんかじゃない
逃げたくなるほど、苦しい関係性というのは、そこに
“我慢” や “犠牲”
が積もってきた証拠なのかもしれません。
「母が一人で寂しくないか、心配だ」
「何かあったとき、後悔するんじゃないか」
そうやって考えられるあなたは、十分に優しい方です。
だからこそ、全部を背負わなきゃと思ってしまうんですよね。
とっても、わかります・・・
親の面倒を見ないこと=親不孝ではない
親との関係が、支配的に感じることは、誰にでもあります。
“こうして当たり前”という言葉の裏に、
愛よりもコントロールを感じてしまうこともある。
そんな中で、
「すべて応えるのが親孝行」
と信じるのは、あまりにも自分に厳しすぎると、わたしは思います。
本当は、関係にはグラデーションがあっていい。
「0」でも「100」でもない、ちょうどいい距離が、きっとあるはず。
自分の心を守るのも、大切な選択
自分の心を壊してまで親に尽くすことが、
本当の「孝行」なのかどうか・・・
それは、一度立ち止まって考えてみてもいいことだと思います。
そして、関わらないことを選ぶ=見捨てたわけじゃない。
「関わり方を選ぶ」のは、
むしろこれからも、関係を壊さずに保つための、大切な一歩なのです。
「逃げたい」って思っても、あなたは冷たくなんかない。
それは、自分の心の限界に、ちゃんと気づいているだけ。
「面倒を見ないこと」で自分を責めないでください。
その判断の裏には、きっとたくさんの葛藤と、
“それでも大切にしたい”という想いがあったはずだから。
親との関係も、人生の一部。
でも、それがわたし達の人生のすべてではありません。
どうか、自分の気持ちに誠実に。
少しでも「ラクで、正直な自分」でいられる選択を、してくださいね。
あなたが、あなたの人生の主人公でありますように。
今日のしつもん
Q あなたのちょうどいい距離とは、どんな状態ですか?
お答えを下欄に、教えていただけると嬉しいです。
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