〜語られなかった存在にも、ちゃんと命の光が宿っている〜
今日は、法事がありました。
ご先祖様に手を合わせる時間というのは、
どこか空気が違っていて、静かで、あたたかくて、
言葉ではうまく言い表せないものが心に残ります。
住職さんが開いた過去帳。
そこに書かれていたのは、
わたしたちが誰も知らなかった名前。
叔母でさえ「聞いたことがない」と言っていた、
6歳で亡くなった男の子の名前でした。
住職さんが
「この日が月命日だということも、偶然ではなく、
やっと気づいてもらえて喜ばれてますよ」と。
存在を知ってもらえていること、いまさらですが
すごく大切で、命の時間ではなく、存在した命そのものが尊いと感じました。
「この日が月命日なのも、きっと偶然じゃない。
やっと気づいてもらえて、喜ばれてますよ」
住職さんのその言葉に、心が温かくなりました。
命の長さではなく、存在していたということ自体が尊い。
今日を法事にして本当によかった。
遠方から来てくれた親戚にとっても、意味のある時間となりました。
ご先祖様の存在は、
命の重さと、見えないつながりのありがたさを思い出させてくれます。
知られてなかった命も
きっと、わたしたちを見守ってくれていたのだと感じました。
今日の小さな問いかけ
Q:ご先祖様から、いただいているギフトはなんですか?
下欄に、あなたのお答えを教えてくださいね〜
大切に読ませていただきます。
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