今日、2回も同じケースがありました。
先生に子どものことを言われて、それをそのまま「子どもの全部」
「わたしの育て方の結果」として受け止められたのです。
わたしが思うに、心の中でこう変換してるんですよね。
「落ち着きがないですね」→「うちの子って問題児?」→「やっぱりわたしが悪いのかな…」
こんなふうに、事実よりも心の声がどんどん大きくなっちゃうこと。
今日はそんな「人の言葉と自分を混ぜちゃうクセ」を、分けてきますね。
2つのパターンをお伝えします。
1つ目は、
先生の言葉と、自分の解釈はちがうもの
まず大事なのは、「事実」と「解釈」を分けてみること。
- 事実:先生が「落ち着きがないですね」と言った
- 解釈:だからうちの子はダメ、わたしもダメ
自然に起こるこの解釈を、一旦やめることが大切です。
相手の言葉は、あくまでの相手のレンズ
先生の発言は、その先生が持っている眼鏡を通したものにすぎません。
職業上の経験や、これまでの価値観から見える一部の側面です。
だから、「相手の言葉=絶対的な真実」じゃないんです!
ひとつの見方として受けとめればいいのです。
存在価値は変わらない
子どもが注意された=その行動についての先生自身の考えです。
自分自身や子どもの存在の価値を決められたわけじゃないのです。
行動は変えられる。存在の価値は変わらない。
ここを分けて考えられると、ずいぶん楽になるとわたしは思います。
次のケースは
クレームは「否定」じゃなく「情報」
クレームを言われると、「わたしってダメなんだ」って思いがち。
でも実際は「ここをもう少しこうして欲しい」というリクエストであることがほとんど。
必要なところだけ拾って、あとは横に置いていいんです。
全部を背負う必要なんてないから。
クレームを言われた自分自身が、できない人ではないのです。
クレームの受け止め方(プラスの視点)
わたし自身は、クレームを言われてもこう考えるようにしています。
「なるほどです、ありがとうございます」と受けとめてから、
「なぜそう思われますか?」 と相手の意見を深く聞いてみます。
すると、クレームは否定ではなく、改善のきっかけになる大切な種に変わります。
そして何より、クレームを言えるということは、
相手が「安心して意見を出せる関係」だと思ってくれている証拠でもあります。
人の言葉は、
必要なものだけ受け取ればいいし、全部を背負う必要はないんです。
人の言葉は、その人のレンズを通したひとつの見方にすぎません。
自分自身や子どもの存在そのものを決めるものではありません。
そして大切なのは、人の言葉だけでなく、自分の感情も「自分の存在」と分けて考えること。
悲しい・ざわつく・不安になる
そんな感情は、自分自身の価値を下げるものではなく、ただ「今そう感じている」というサインです。
存在そのものはいつも満点です。
言葉も感情も“情報”として扱い、必要な分だけを選んでいけば、心はもっと自由になります。
今日の質問
それは、事実ですか?
この記事へのコメントはありません。