あなたが現在見ているのは 夫婦のモヤモヤ|元夫との法要の旅で気づいたこと

夫婦のモヤモヤ|元夫との法要の旅で気づいたこと

三徳山・投入堂への開山法要へ

鳥取県、三徳山。

山全体が御神体として、神と仏が宿る場として知られるこの地に、
去年から毎年開山法要に同行させてもらっています。

三仏寺本堂から奥院投入堂までの道中、
住職さんや山伏さんが法楽をされながら、
この一年の健康と参拝者の安全を祈願される行。

投げ入り堂の開山供養2026年4月1日

ここに来るようになったきっかけは、
学びの場でご縁をいただいたあぶい蒲鉾店のご夫妻。
永代供養もしていただいているこの場所で、
開山法要が行われることを教えていただいたからです。

当日は、少し雨模様で、でも身体が思ったより濡れることなく、
むしろ山全体にモヤがかかり、幻想的な風景が広がっていて、心が弾みました。

木の根を支えに、鎖を頼りに、険しい山道を登っていく。
子どもの頃、祖母がお猿さんのようにひょいっひょいと登っていくのを必死で
追いかけていたことを思い出しました。

ご先祖様がこの地に生まれ、営み続けてきて、
その血がわたしにも流れていることが、嬉しく感じられるのです。

今年は元夫も一緒だった。前から行きたいと思っていたと、後で知ったのですが。
大切な場所に、大切な人と登る、それだけで、なんとも言えない気持ちになった。
(住職さんに紹介する時も、住職さんが何とも言い難いお顔をされたのが、ちょっと面白かったです)

法要の道中で感じたこと

険しい山道は、助け合う余裕がなく、木の根をつかみ、鎖にしがみつき、
自分のことで必死。隣に誰かいても、それぞれが自分の足で登るしかない。自然と無言で登るだけ。
険しい山の中に数カ所御堂が立ててあり、昔の人はどうやってここに木材を運び、また大きな鐘を
運び込んだのだろうとそちらにも思いが馳せました。

ありがたいご住職のお話や般若心経、そして法螺を何度も聞きながら、
奥の院投げ入り堂に到着し、無事今年も来れたことに感謝しました。

その後下山ですが、またこれ大変で登る時よりも結構大変です。
つるつるの中足をしっかり支えながら降りなければもうズルズルとしたまで滑落していくような勢いです。

気をつけながら下山して、山道にある谷川天狗堂さんで、
美味しい山菜の天ぷらと、地元のお豆腐をいただくのが楽しみと話していると、
その瞬間に滑って、こけてしまいました〜

神聖な場で、いやしくも食べ物の話をしていたからかな・・・
何はともあれ、穏やかな時間でした。

なのに帰ってきてから、なんとなくモヤモヤが残っていました。本題はここからです。
ご興味のある方は、読んでくださいね。

なんだろう、この感じ。

少し自分に問いかけてみた。

わたしはこの法要の旅の間、「してあげる側」でいました。
親切にする、気を遣う、場をつくる。でも相手(元夫)から親切を感じる感覚があまりなかったです。
荷物を持ってくれたり、傘をさしてくれたり、滑りそうな時は支えてくれたりはあったのですが・・・

それって元夫のせい?

……たぶん違う。

こうして、文章にしていて気づきました。
わたし、無意識に「ありがとう」を求めていたんだ。
自分が勝手にやっておきながら、相手の反応を待っていた。

先に「ありがとう」と言われたら素直に受け取れたはずだけど
自分から「嬉しかった」「ありがとう」と言ってなかったのかも・・・

与える側でいることで、傷つかないポジションを保っていた。
ありがとうを言ったら負けみたいな感覚です。この微妙な意味届きますか?

何かを先にすることが愛情だと思っていたんです。
でもその根っこを辿ると、「与えることで関係を優位に保ちたい」
という気持ちが混ざっていたことに気づきました。

愛情じゃなくて、コントロールだったのかもしれないな」と。

無意識で、やっぱり自分を守ろうとしている。

では、どうするか

じゃあどうすればいいのか。

たぶん、完全に解放されるゴールはないと思っています。
人間である以上、怖さはなくならない。
ただ、少しずつ付きあい方を変えていくことはできます。

わたしが気づいたのは、たったひとつのこと。

与える前に一瞬、「これは誰のため?」と自分に聞くこと。

相手のため、と感じたら動く。
「自分がいい人でいたい、優位に立ちたい」「関係を保ちたいから」が出てきたら、少し止まる。

そしてもうひとつ。小さく先に伝える練習をすることだなぁと思います。
「今日楽しかった」「一緒にいられてよかった」
本音を先に言ってみることが大切なんだと。

受け取る練習もする。
相手の親切や好意をそのまま受け取ること。与えるのが得意な人ほど、これが一番難しいんです・・・

かに助けてもらうことも、誰かを助けることも、
あの険しい岩場ではできない。ただ自分の足で、一歩一歩進むだけ。

自分の人生も、きっとそういうものなのかもしれません。
気持ちが揺れてる自分のそばに、自分自身がいられること。
これを忘れないようにしたいと思います。

「お世話したい」という気持ちは本物だと思いますし、否定しなくていいんです。

ただ、動く前に一瞬だけ自分に聞いてみる。

これは愛の選択?それとも恐れの選択?

愛の選択は、自分の心が喜ぶこと。
恐れの選択は、「しなければならない」「すべき」で動くこと。

その違いを感じて選んだとき、「お世話したい」はきっと本物の愛情になると思うのです。

よく「ゆきちゃんはもうそういうこと卒業してるよね」と言われます。

でも、わたしは、よく揺れます。

これがふつうなんだと思います。「ふつうに生きる、そこに幸せを感じる。」

いつも安定している人でいなくていい。
揺れながら、気づきながら、一歩一歩進んでいけばいい。と思います。


今日の質問

Q あなたのモヤモヤの下には、どんな気持ちが隠れていますか?

感動やしつもんのお答えを、教えていただけると嬉しいです。

コメントを残す